なぜブルースを語るべきで、ブルースウィリスは語られるべきではないか?part2

「境遇なんか気にするな。私は自らチャンスを作り出す」

その名言が聞こえてきたあの日、私はまだ幼子でした。

何も知らない幼子でした。住宅メーカーについても家造りのノウハウについても知りませんでした

弾力のある歯ブラシや頭痛に効くロキソニンも知りませんでした

しかし良く知っていたのは映画と音楽でした

私はブルスリーのような俳優になりたかった。悪態をつくアクターになりたかった。

ブルースウィリスの娘のようになって、ブルーススプリングスティーンのようにかっこよくブルース・オールマイティみたいな映画に出演したかったのです。

あれはちょうど、ドイツの壁が壊れる前のことだったと思います

世間は構造主義、構造主義といって、共産党員を馬鹿にするような時代の流れがあって、三島由紀夫は墓の中で泣いていて、天皇は天皇でそろそろ倒れそうな感じでした。

私はついこの前まで幼子だったのに、大学生になっていました。

あの超有名私立大学に入学し、みんなの憧れの的でした。まるでTMネットワークのようでエックスジャパンのようでした。

そんな私がブルースについて語り出すきっかけを与えてくれたのは、寮のおばさんでした

もちろんすでに私が幼子だったあの日、キョンシーやブルスリーの映画をみていたあの時に、伏線は貼られていました

前回の記事にも書きました父親の意味不明の行動のことです

伏線は常に張られている。

わざわざ記述する必要もないかと思うのですが、私たちは生活の中に張り巡らされている声や伏線に気づいてはいない

いつも見ているのは上辺だけ

悲しいね。

だから私はブルースを聴く

おねえさん、元気ですか

次回は寮のおねえさんの話です